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かくいうもの

いつでもきょうがいちばんたのしいひ

演劇を考える。

戯言

平田オリザ平田オリザの仕事2-都市に祝祭はいらない』

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない

平田オリザの仕事〈2〉都市に祝祭はいらない


を久しぶりに読んで、また演劇に対するいろんな思いが渦巻いてしまったので、ここで発散しておこう。新刊でないどころか、10年以上前の本なので、今更読んでレビューで書いても誰が読むやらなので、レビューではないっす。平田オリザさんは書くにあたったきっかけ、つうことで。



平田オリザとは

平田 オリザ(ひらた オリザ、男性、1962年11月8日 - )は、日本の劇作家・演出家。桜美林大学教授を経て、大阪大学教授。劇団青年団主宰。

「リアルな演劇」「静かな演劇」の旗手として、90年代以降の演劇界で活躍。独自の創造世界を、系統だてて理論的に「演劇入門」などの書籍で説明している。現在、氏の代表作の一つ「東京ノート」は9ヶ国語に翻訳されている。

平田オリザ - Wikipedia

演劇はもとより教育、言語、文芸などあらゆる分野の批評、随筆などを各誌に執筆。近年は、公演やワークショップを通じて、フランスをはじめ韓国、オーストラリア、アメリカ、カナダ、アイルランド、マレーシア、タイ、インドネシア、中国など海外との交流も深まっている。また、2002年度から採用された国語教科書に掲載されている平田のワークショップ方法論により、年間で30万人以上の子供たちが、教室で演劇を創るようになっている。他にも障害者とのワークショップ、地元の駒場ほか、各自治体やNPOと連携した総合的な演劇教育プログラムの開発など、多角的な演劇教育活動を展開している。

青年団公式ホームページ


ドラマチックな展開がない、日常を切り取ったかかのようなスタイルは「静かな演劇」と評されるが、正しい評価ではない。著作でも述べているが、現代演劇の一旦を担うリアリズムを追う作風を「静かな演劇」として安易にカテゴライズしてしまうのは、本質を見落としてしまい、表層だけを知るに留まってしまう恐れがある。


今や演劇の世界はナンセンスが溢れる。それは時代故なのだろうけど、そんななかで著者が、表現したいのは「私には世界はこう見える」という単純欲求だ。よくリアリズムの追求とは日常の変化のない風景をコピーする、と間違って解釈されているが、真にリアリズムを「見せる」ためには、「リアルに感じるように作る」ことなのだ。著者は「現代口語演劇」という理論に基づいて格闘しているのである。言いたいことなんて何もない。観客が芝居を見て、なんかしらの記憶のふたを開ける、もしくはこういうことってあるよなあ。と感じるものを作っているのだ。もっというと「こういうもんなんです」なんて一言も言っていないのだ。解釈を委ねている、というのとはまた違う。その場で体感するのはフィクションなのに自分の体験のような距離なのだ。



著者の演劇に対する姿勢はこの言葉がわかりやすいだろう

伝えたいことは何もない。表現したいことは山ほどある。

見えている世界を描く為に演劇という手段を使っているのだ。著者自身が「実験」というこの「現代口語演劇」。今どの次元にまで昇華しているのかを実際に目撃したいところだ。


全然内容に触れてないな。演劇のこととなると、ついつい熱が入ってしまう。まあ、端から自分の思いを吐露したかっただけなんだけどね。


こんなことが書いてあって、なるほどなあと思った。

絵画では、写生より模写のほうが教育的効果がある

ただ真似るだけでは同じような絵は書けない。原作者が世界をどう見てるかをなぞるからだろう、という考察だった。なるほどな、と。
これもまた、表層だけではなく、本質を学び取る話である。
演劇は娯楽だ! 演劇は文化だ! と声を大にして叫びたいのであるが、実際の巷はなんちゃってフォロワーが溢れてしまっている状況だ。そんな状態でずらっと一列に並べて「はいこれが娯楽です」なんて冗談でも言えない。真似をするなら、作家・演出家が何を「どういうふうに見て」表現にいたったかを学んで、自分の中で消化して再放出するんだよ。
演劇を担う小劇場の方々にはスタイルはどうあれ、著者の演劇へのスタンスを学んで出直して頂きたいものだ。観客からの切なる願いである。


本質にたどり着けない表現は、自然選択を生まない。それこそが演劇の最大の問題だよ。進化しないもん。たまにぱっと出てくる「才能ある人」だけが面白いって、なんてちまっこい世界なんだ。もっと底上げが必要。