かくいうもの

いつでもきょうがいちばんたのしいひ

クレマチスと紫陽花の季節に思い出すこと


紫陽花がとても綺麗に咲いてる。梅雨空の続くこの季節はどうしても気が滅入りがちだけど、美しいものを見るとちょっとは気持ちが晴れる。


我家にも紫陽花があった。今は手放してしまったが、庭付きの家だったのでいろいろと花や木があった。母がいろいろと好きで、梅やつつじなどが庭にあった。柿ノ木もあったね。水仙や薔薇。枇杷、ちょっとした家庭菜園風にかぼちゃやナスなども。子供ながらに好きだったのはクレマチスだった。母は鉄線と言っていた。家の周りを囲む柵に蔓をからませ、綺麗な花を咲かせていた。


雨に打たれるクレマチスと紫陽花の花を見るとついつい昔を懐かしむ。


「ぎょーさんふりょーるなー」
と雨の降りしきる庭を見て祖母がつぶやいていたのを覚えている。なぜかこの言葉が耳に残っている。岡山にある祖母の家。毎年夏に帰っていたので、梅雨の雨ではないはずなんだけど、雨から強く連想されるのでこの季節になると思いだすんだ。


中学に入ってからは帰ってないような気がするので小学生までかな。毎年夏休みになると、新幹線で岡山まで帰って数日を祖父母宅で過ごすというのが恒例。岡山市内の駅から海よりに行った方だったと思う。最近とんと帰ってないのでうる覚えだけど。近くに旭川があって、帰省すると毎日祖父とハゼ釣りに出かけてた。ハゼは簡単に釣れるんだよね。ゴカイを餌にして海の近い潮交じりの川に放る。影が見えているのでそちらに近づけるとすぐに食いついてくる。ラジヲ体操に参加するのと釣りに行くのどっちが先か忘れたけど毎日のように釣りに行っていた。釣った魚は持って帰ってたかな? 確かそう。今度は祖母がからあげか何かにして食卓に出してくれた。


広い庭には桃の木。その他菜園。母の庭好きは今思うと当然だったんだな。今母の住む実家は引越しをしてアパート住まいになっているが、懲りることなく窓の外にはプランターが並んでる。この前帰ったときにはパンジーが咲いていた。


祖父母の話に戻る。
祖父母宅は、昔ながらの木造住宅なので縁側があった。扇風機を持ってきて暑い夏の昼間を過ごしたり、ビー玉を転がして遊んだり。昼間は気にならないけど、夜になると木の軋む音が怖い。トイレに行くのは一大イベントだった。
裏庭にはいちじくの木があった。美味しくて大好きだった。おそらく祖父母の土地ではないはず。家は立ってなく半分が沼のような状態になってた。ぽつんと祖父母宅に寄り添うように立っているいちじくの木からは、熟れて赤く裂けた実が良い香りを放っていて、帰省の一つの楽しみだった。



祖母はまだ健在だが、祖父は私が18の頃に旅立った。老衰。そのころ私は高校を中退して家でダラダラ過ごす日々。母は危なくなったころに岡山に帰っていたのだが、誰か家族も来いということになり、弟や妹は学校があるからということで、私だけが葬儀に向かうことになった。新幹線で岡山日帰りという日程。スーツなど持ってなかったので、本来だったら毎日来ているはずの学生服を持って。葬儀での祖母は気丈。母も多少やつれてはいたが普段とさほど変わらない様子に見えた。でもやっぱり実の父の死。出棺時には今まで見たことの無いほどの姿で号泣をしてた。私にとって身内の死自体が始めてのことだったが、母の泣く姿を見てショックを受けた。18になって初めて知る人の死を母の背中で知ったのだ。棺の中の男は私の記憶している男とは全く違っていて、やせ細っていた。火葬場で骨がほとんど残らなかったことにまたショックだった。


18で初めて人の死を知るっていうのは遅いほうだろうか。祖父が死んだということが悲しい、ということは余り無かったように思う。母が悲しんでいるのが悲しかった。人の死で悲しむ人の心を知った。



葬儀が終わったあと、どうやって駅まで行って新幹線に乗ったかは覚えていない。なんで日帰りだったのかもわからんし帰ったあと何を考えたかも覚えていない。何か変わったわけでもないと思うんだけど、ただ、この季節になると思い出すんだ。雨が降ると。紫陽花が咲くと。クレマチスを見ると。