かくいうもの

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2009年にも「ヱヴァ」は必要だった

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』観て来た。
公開5日目。映画の日ということもあって朝から満席。


もろ世代ではあるけど体験は希薄。TV版が1995年だから、14年前。俺は16歳だったか。
TVシリーズ自体はリアルタイムでは見ていない。1997年に劇場版、いわゆる旧劇場版が公開されたころにニュースかなんかで。結局劇場でも見てもいなくて、深夜の再放送かなんかで初めて見たようなおぼろげな記憶。「私はたぶん3人目だと思うから。」なんていう意味深なセリフのオンパレードに若い俺はわかりやすく魅了されたもんだ。
それから10数年ほど経ち、「新世紀」となり、「ヱヴァ」と名を変えて再び眼前に現れた。


今回、劇場にまで足を運んだのは監督の「エンターテイメント作品に仕上げたい」という言葉を見かけたので。映画は娯楽であるもの、というのは何よりも明確な定義であるからこそ、それを明言するのは難しい。なんたって「エヴァ」だ。強固に作り上げられた世界観をどう料理するのか。自らの手で。興味が沸かないはずがない。



映画を観て真っ先に思ったのが、標題だった。「2009年の今、ヱヴァは必要だ」


中学〜高校(大学?)でTVシリーズを観たのが「エヴァ世代」だとすると、20代後半〜30代前半ぐらい。実際に劇場にいたのは、それだけではない20代になるかわからない若者や、決してオタクとは思えない女性グループ、男女カップル。そう、普通の映画と変わらない。エヴァはとっくに市民権を得ているのでこれだけでは何も驚かないんだけど、パンフ買いに並んでる顔ぶれも変わらない。ごく一般的には、映画のパンフは「凄く気に入った映画」以外買わないもんだ。


パンフを封印シールと袋とじで閉じ込めて、「見終わった後に読んで下さい」という商業面での戦略も多少は影響があったとは思うけど、そういう雰囲気じゃないんだよね。


TV版ではテーマの解釈は観客に委ねられた(というかむしろ投げつけられた)ものだったが、今回は監督の言葉通り、明確に進行していく。おそらく大団円に向かっていくであろうという超映画的な展開でありながら、作家性を残しつつ観客の期待にこたえる庵野監督。底が知れない。



全く別物になっていくエヴァはファンにとって面白いのは当然。ファンだけを喜ばせることができても所詮二流。大衆を沸かせて一流。まごうことなき傑作であったと思う。みんなこういう作品観たかったんだよね。どれだけ期待されたことか。それを「破壊」することで裏切って超えた。そういう作品を作ってやろうという制作サイドの熱意が見えた。


「面白いかどうか」は作る本人が一番わかっているべき。
でも、それがずれちゃってるのが今の日本映画。
ある映画は芸術風作品を装い、ある映画はテレビドラマの劣化コピー。もういいよそんなの。「面白くなるように作る」から面白くなるんだぜ? 



そんな2009年だからこそ必要な映画だった。観てない人は観てみるといいよ。
絶対損はしない。