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かくいうもの

いつでもきょうがいちばんたのしいひ

『くっだらない』が面白い

思い出話、というと感傷的ですのでただの戯言。ただなんとなく書きたくなっただけ。


高校を勢いで中退した後、働くでもなく何をするでもなくただひたすらに穀潰しな生活を送ったあと、なぜか役者になりたい、などと思ってそんな学校に通ってみたりなどをして、いつの間にか役者から裏方が面白い、なんて思うようになってスタッフとしてある劇団に所属してたりした。


そこは、巷の演劇人たちとはちょっと空気の違うところで、「ちゃんと面白いことをやっていた」ので居心地が凄い良かった。こういう風に言うと他のところがちゃんとしてないみたいですが、そうじゃなくって観る人にとって面白いかどうかをホント真剣に考えてやってたと思う。小劇場の世界はどうしても客が「身内」になってしまっていて「面白いかどうか」を客観的に見つめることに欠けてしまう。そんな中で、客を喜ばせる為に突拍子もない思いつきを実現する為に大の大人達があーだこーだと真剣に考えてやってた。


作家がとても才能のある人であったのは確かだったんだが、一人の力で芝居が作れるわけではない。なぜ面白いものが出来たかというと、一つには役者もスタッフも魅力的な人物が集まったから。これは凄く幸せなことだった。自分がその中に加われたのが奇跡のようだった。出会いなんて幾千とあれども、こんなにも上手く集まってくるのだろうかというほどの引き寄せられかただった。作家の才能だけでは面白いものは出来ない。集団になって始めて面白いものが出来る。


ただ、人が集まっただけでそんな簡単に面白いものが出来るのか。答えはノーだ。


もう一つ大切なものは、その集団が同じ認識を持って突き進むことだ。そうであって始めて、思いついた突拍子もないことを実現可能とする。「これは誰もやったことがない」という思いつきは大抵誰かがやっている。「思いついた人はいても実現した人はいないだろう」を見つけたらそっからが勝負。だれも疑うことなくそれを舞台上に現出させる為の方法を練る。見つけた途端に皆の目の色が変わる。それが面白いことがわかっているんだ。


皆で共有していたのは『くっだらないが面白い』という感覚。それだけだったと思う。やっと出ましたね標題。


ここで重要なのは『っ』の部分。ここに力が入れば入るほど面白い。あくまでも感覚なんで具体的に説明するとか無理。「くっだらないこと」を実現させる為にあれこれ意見を飛び交わす大人たちの目の輝きを見ると面白いものが出来るのが納得出来る。出来ないハズがない。大人の本気は凄いのだ。


正直かかる労力は半端ない。なにしろ誰もやったことないはずなので、思いつきから実現までの道のりの長いこと長いこと。でもその「くっだらない」を観客と共有出来るかと思うと、もう何が何でも辿り着かせるしかない。そうして大人たちは突き動かされていく。幕が降りて劇場から出てくる観客が満面の笑みを浮かべて「くっだらねー」と言ってるところを見ると、それまでの苦労が全て吹っ飛ぶくらいに嬉しかった。作るのはホントしんどかった。でもその「くっだらねー」の為には全身全霊を注ぐことが出来た。しんどい分メチャクチャ楽しかった。



今もこの時関わった人たちと感じた「くっだらないが面白い」という尺度で生きている。くっだらないものが人生を華やかにする。くっだらない最高。