読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かくいうもの

いつでもきょうがいちばんたのしいひ

それからの10日間と1日。

日記

感じる時間の流れが変わってしまったかのようだ。俺の周りは想定出来る程度の混乱しか起きていない。でもそれでさえも、語っても語りきれないほどの事ばかり。たったの10日で何が変わるのか、なにも変わらないのか、そもそもまだ10日なのかもう10日のか、はっきりしてくる事実とデマに踊らされる脆い人間と、救世主と救世主を祭り上げようとする人々と、眠たくなるような記者会見と、プロ意識のかけらもない記者と政治家と、ジャック・バウアーこと枝野総理大臣と、悲壮な未来への絶望と希望の未来への焦心とがゴチャマゼになってどうやら俺の心もぐわんぐわんに揺れまくっていたらしい。この10日間と1日の間、考えたこととか感じたこととか、俺は何をしていたのか、というのを残しておかないと、きっと俺は今の感情を忘れて、のうのうと生きていってしまうに違いないと思うし、それはそれでいいのだけれど、やっぱり残しておかないと、書いておかないとという気持ちがあって、それはこれを読んだからでもあるんだけど。ただつらつらと思うままに書いてみる。


3月11日

日記にも書いたように、誰しもがそうであったように何のこともない、昨日とはちょっと違う、明日ともちょっと違う、今日という3月11日を過ごしていた時に「それ」は来た。今改めて思い出すと、確かに揺れはしたけど、みんなそれなりに余裕があった。寧ろ浮ついていた。立っていられないぐらいの揺れで皆してデスクの下に潜る光景は小学校の時の防災訓練のそれで、違うのは防災頭巾がないぐらいで、いや、実際に揺れているけれど。揺れが収まって来たところで、避難するのかどうするのか?という空気になったんだけど、戻れる人から業務に戻って、ということになったらそれぞれに業務を始める。誰もそんな深刻には捉えていなかった。やっと18時にクライアントから業務中止指示が出る頃には東北の方で大きな地震があった、ぐらいの情報しかなく、館内放送で交通機関が完全ストップしていたのを知るにつれ、ただごとじゃあない、というのがわかってきた。それでも俺は、まあ歩いて帰れる距離だし、帰れない人がいるから一晩ぐらい会社に泊まるのもしょうがないな。などと。実際そんなもんだった。電車が動き出して帰れる人をどんどん帰して、小田急線の復旧で最後の人が帰ったのが1時ぐらい?そのあと残ったスタッフも、買出し行って来まーすというノリで、30階から下まで降りていった。何も無くってしょんぼりして帰ってきたけど。明日も朝が来れば仕事は始めるんだろうなあ、と呑気に思っていた。椅子を並べてコートを被って眠りにつく。翌朝に「目覚めた」という記憶があるので、多少は眠れていたんだと思う。

3月12日

夜明けぐらいの時間に起きて、動き出した電車と共に帰っていくスタッフを見送って、コーヒーを飲む。朝日がやけに眩しい、と思ったけどそもそも朝日を浴びるような時間に普段起きてたりしないので、比べようがないな、なんて思ってたりした。業務端末が鳴り、昨日電車が動き出した、と言って出て行ったスタッフからの連絡が入る。途中で降ろされて朝まで身動きが取れなかったのでこれから一旦帰宅してそれから出社できそうなら会社に向かうとのこと。きっとそんな人ばっかりだったんだろう。何時間も歩いて帰ったというスタッフが沢山いた。8時頃からぽつぽつ電話が鳴り始めて、次第に鳴り止まなくなる。予想はしていたが、ほとんどのスタッフが出てこれない。サービスは止められないので9時になったらセンターを動かさなければならない。止まっていたエレベーターのうち、貨物用の1機だけを動かすことになり、早めに出てきてくれた社員を捕まえて誘導に向かわせる。そんなこんなであっという間に午前中が終って、ボロ雑巾のように疲れきって退社。エレベーターは動いていたが、いつ止まるともわからないので階段を下って会社を出る。13時。とぼとぼ、という擬音がぴったりの姿で家路に着く。街には、まあ当然のことだけど、何の変化も見られなかった。人は少なかったかもしれない。コンビニに立ち寄る余裕が無かったのでわからないけど既に空っぽ状態だったんだろうか。14時前に帰宅してPCを付けて、情報に触れたかったけどとりあえずは飯だ、ということで、近所のファミレスに行って日替わり定食。コロッケとミニハンバーグ的なもの。味噌汁が美味かったのだけを覚えてる。もう数年は今の部屋に住んでるけどそのファミレスに行ったのは2回目だった。帰宅してからやっと本格的にネット。ついったーに溢れんばかりの思いやりが流れてきていて、人間が凄いなって思って号泣してしまった。これは疲れてるんだと気づいたら猛烈に眠くなってベッドへ。22時過ぎまで夢も見ずにただ息だけをしていた。

まだこのころは揺れにも敏感。日記を書いてたらたっぷり寝たはずなのに眠気が襲ってきて2時頃再びベッドへ。晩ご飯に何を食べたかは覚えていない。

3月13日。

これ凄い物量になるんじゃないだろうか。まあ、いいか書いとこう。
7時前には起きて、昨日盛り上がっていたヤシマ作戦を調べて、輪番停電地震関連の記事をブクマして会社に向かう。徒歩。電車は動いていたけど乗る気になれなかった。昨日のことがあったので心配したけど、混乱はさほどなく業務は動いていた。昼過ぎに退社して、この日はエレベーターで1階に降りた。スーパーによって買い溜めする人にどん引きして、俺はいつも通りの買い物をして帰宅して即インターネッツ。また泣いている。アメリカの侵略できちゃうよレベルのお友達作戦やらたくさんの元気の素が響きまくる。それにしても泣きすぎ。やっぱり今思うと正常な精神状態ではなかったんだろうな、と。1時間ほど昼寝をしたあと、暖房を付けずにインターネット二日目。二日目にして膨大に膨れ上がった被災状況にどうしていいのやら、何か考え無くちゃいけない、と思いつつも目に飛び込んでくるものが余りに痛烈すぎて思考回路が完全に麻痺していた。それでも自分のところはなんとかなってるので、大丈夫だろうと思っていた。それよりも作ってあった塩豚は何日位もつのだろう、そろそろ消化しないとな、などということが気になり、このタイミングで米を切らすとは何たる不覚、などと嘆いていた。夜に東電の記者会見を見ながら母親に計画停電のスケジュールを実況。原発の様子に関しては完全に傍観者。

3月14日

計画停電のニュースで大混乱が予想されたのでこの日も早く会社に出るつもりで6時に起床。8時に起きても間に合うぐらいなので2時間前行動!俺凄い、と思ったら5時45分に上司からの不在着信が。折り返したら当然のように早く出社するようにとの指示。わかってるっちゅうねん。この日のほうが混乱がひどかった。震災翌日の3月12日の比ではなく、交通機関が動かないというのは、大変なことだと痛感。飯を食いにデスクを離れるわけにも行かず、部下にご飯を買って来てもらってデスク飯。サンドイッチとコーヒーが美味かった。普段なら味なんて考えないのに、こういう時は噛み締めてしまう。昼を済ませたら直ぐに業務復帰。センターは通常通りの稼働で21時半過ぎに退社。新宿の暗さに感動しながら、空を見上げつつ歩いて帰宅。半分の月がきれいだった。日付が変わる前に就寝。

3月15日

昨日よりは遅め、それでも普段よりは早めに出社。ダイブ落ち着いている。欠勤者も減って、業務は寧ろ閑散気味。そりゃそうだ。収集がついている、とは決して言えない状況ではあったが、暫くこの状況が続くと考え早めの退社。コンビニは相変わらず商品だながガラガラだったが、アルコールは残っているのでビールを買って帰宅。多分この日に震災後初めてちゃんと料理した。のんびりしながら布団でインターネッツタイムしてたら静岡が揺れた。もう、どうにもならないのでスーパーポジティブイメトレ、ようは妄想を肥大化させて現実逃避をする。ここらへんのついったーのログとか見てると気分は持ち直してるっぽい。つかほとんど通常運転。「おっぱいが揺れた」とか「あなたと節電したい」とか連投しまくりたいのだが、一日一回ぐらいに抑える程度には紳士っぷりを発揮している。

3月16日

コンビニで買い物するたびに募金をしようキャンペーン、通称元気玉作戦(命名:俺)開始。
疲れが体に来たのか仕事中からヒドイ頭痛に見舞われる。明日以降の業務縮小の指示がクライアントから出されて他のデスクでは人員調整に頭を悩ましていたのだが、俺を悩ませていたのは頭痛。なのでスタコラサッサと帰らせてもらった。歩いてるウチに幾分かは楽になったものの、もともと頭痛なんて1年に一度来るか来ないかぐらいだったので驚く。このころにはニュースの中心は原発と停電。それでもテレビは全く付けずにいた。今回の震災とは全く関係なくテレビ自体を見ない生活が長らく続いている。ジブリの映画とワールドカップとかオリンピックとかの類の時に見る程度だ。頭痛は心労からだろう、とわかっていたので、気分転換の為にも週末には外出をしようと決めて眠りにつく。

3月17日

仕事中に大規模停電虞、のニュース。11日震災当日の帰宅困難っぷりが想像されたのか、デスクが妙に静まりかえる。そりゃそうだ。誰だってちゃんと家に帰りたい。今日こそは早めの判断があるかと思いきや、クライアントからは音沙汰なし。ベンダーの社員をなんだと思ってるんだと、この時ばかりは怒りが湧いた。自主的に退社許可を出して、それに追随するようにやっとクライアントから業務中断指示。それも20時過ぎ。2時間以上遅いよ。ということで、結局21時前まで仕事していたことになる。帰宅してからは恒例となった布団でインターネッツタイム。そして、疲れて寝るという、のが当たり前になってもいる。

3月18日

いつものコンビニでいつものヴォルビックを書い、募金をして、この日も徒歩で出社。縮小状態の業務もさほど混乱することもなく進み。止まっているシステムがあるから出来ないこともあり、サクっと退社。スーパーで納豆買いだめした人を呪うも、納品自体されなかったのかもな、と思って心を落ち着かせる。誰かとご飯が食べたくなる。時間が出来るといろいろ考えてしまう。やっと風景も見れるようになった。でも、翌日も仕事。

3月19日

出社、しても仕事があるというわけではなく置物。何かあったときのために待機しているという方が正しい。溜まりまくった仕事を整理して定時退社。1年ぶりに会う友人と酒を呑む。人と会って会話をするという当たり前の事をしているだけなのに元気になる。相当に酔っていたので何を話したか覚えてないこともあるけど。笑顔っていいなあ、なんて思ってたりした。途中から真面目な話をしてしまうぐらいには酔ってしまった。そしてまた歩く。スーパームーンとやらが夜を照らしていて、なんども立ち止まって見上げてしまうぐらいに美しかった。月が綺麗な星に生まれて良かった。

3月20日

晴れたので外出。横浜にでかけて高嶺格中華街ぶらぶら。カメラ持って出かけるのが久しぶり。思考がよくない方に傾いたときは、強制的に別なものを放りこむのが得策。ちょっと遠いところに出かけるのが良い。中華街は休日にしては人が少なかった。大人しくしていよう、と俺も最初は思っていたが、もっと外に出たほうがいい。自粛だなんだといい加減五月蝿い。日常を過ごせる人は全力で日常を過ごすべき、だと思う。各駅停車でのんびりも悪くない。文句を言ってる奴は、自転車に乗ればいい。
休日らしい休日で大いに気分が前進した。前日のお酒との相乗効果で確実に転換。

3月21日

仕事的には状況が動いた。計画停電も落ち着いて来たため、業務を通常に稼動させることに。
俺的には、次の休みに何をしようかばかりを考える通常思考に戻った。それでも若干浮ついてはいるだろうけど。しかし読書をする気はなれなかった。そういえば買った雑誌もほとんど開かずにいる。普段は活字の力に大いに助けられているけど、こういう時はまた違うんだなあ。とにかく音楽。

3月22日

そして今日。ここまであっという間だったと思ったけど、3/11〜3/14までの間がとてもつもなく長くて、それからの今日まで、そしてこれからも続いていく毎日を決定的に変えてしまったのかもしれない。結局テレビは付けないまま。これは良かったかもしれない。過剰に不安を煽られるだけだったかもしれない。

今日は帰りに意識して街を眺めてみた。節電の影響で街が暗い、のだけど具体的にどの看板が普段点いてて今日は消えているのかはちょっと考えなければわからなかった。毎日同じ道を歩き、同じものを見ているはずなのに、変わったことには漠然としか気づかない。一つ一つの小さなか変化が全体を大きく変えるのだろうけどそのパーツは小さすぎて目を凝らしてみないと見つけられない。でも真っ直ぐに見つめていると小さな元気があちこちに湧いてるのに気づく。俺自身はこの状況を楽観も悲観もしていない。ただ割と安心して眺めてる。覚悟なんて何もしていない。日常を淡々と過ごす。たまには非日常に憧れつつ。