かくいうもの

いつでもきょうがいちばんたのしいひ

徒然なるままに

職場で何杯もまずいコーヒーを飲んでいても帰宅したらコーヒーをドリップする。自宅で淹れるコーヒーはなんでこんなに美味しいんだろうと思いながら、ネットを彷徨う。いつもと変わらない毎日。冬だというのに久石譲のsummerを聞いて懐かしんでしまって記憶を掘り起こしていって、菊次郎の夏を平塚の映画館で見たことを思い出す。そんな時代もありました。今は冬。今日は久しぶりに雨が地面を濡らしていて、湿った空気の臭いをかいで初めて暫く雨が降ってなかったことに気がついた。たまには地球を潤しておかいないと、という天の気まぐれか。それにしても、何かに気づく瞬間、というのはどうしていつもそれが過ぎていってしまった後なのだろうか。通り過ぎてしまってから寄り道したいところがあったのに気づく。そうわかっていながら、ひたすらに繰り返していく。どうやら人生というのはそういうふうに出来ているらしい。図書館での借り物が珍しく途切れて、だが積んでる本はあるのだが、今日はいいや、という気分。寒いので外出をしたくなくなる冬眠性人間としては、だらだらと過ごして通り越したい冬であるが、唐突に動物園とかに行きたくなったり、でも、しばらくするとどうでもよくなったり、相変わらずの気分屋。定期的に温泉に行きたい気持ちになるのと同レベルの出来れば満たされたい程度の欲求。それよりも切実なのは息をしなくなったネットブックの代替品であり。つまるところMacBook Air 11インチ欲しい!ということが言いたいのである。今日も今日とて日々生きながらえて、よく食し、よく眠り。よく笑い、よく泣き。人を想い、人に想われ、辛うじて立っている。明日は明日で今日とはちょっとだけ違う日が待っているはずであり、気持ちの持ちようだけでどうにでも出来る。徒然なるままに今日を認め、次に明日に歩みを進め明後日の夢を見るために眠りにつく。