かくいうもの

いつでもきょうがいちばんたのしいひ

「頑張らない」がモットーです。

以前に書いたエントリの再掲。

頑張れって言いたくない。言われたくない(というか言われても嬉しくない)

何年も前から、ことあるごとに主張していた。自分が「頑張れ」と言われたときは「頑張らないよ」と返している。怪訝な顔をされるときのほうが多い。ちゃんと説明をすると大抵の人はある程度理解をしてくれる。だから別に全然理解者がいないわけではないんだが、やっぱり少数派のまま。



「頑張れ!」って言われると「頑張る気なくなる」なんていう子供っぽい理由ではなくて。


もともと、自分は「頑張らない」人間。別に手抜きをしている訳ではない。ただ自分がやるべきこと、したいことをやるのに、「頑張る!」必要はないと思っている。傍目からは「あの人頑張ってるなあ」と見えたとしても当の本人はそんなことちっとも思ってない。「頑張る」という言葉には生産的な行動を取っているというイメージがあるのは確かだろうけど、「無理してる」とか「気合だけの空回り」的な要素も含む気がしない?


「頑張れ」って言ってるけど、本心は「結果待ってるよ」「あとは頼んだよろしく」的なニュアンスが紛れるときが多いじゃん。なんだよそれ、って思う。

精神論やめて!

「なにかやってる」ことに対して、重要なのは結果。でも大切なのは「プロセス」。同じ結果をだすのであれば、精神論である「頑張る」を注ぎ込んで達成するよりも、効率よく物事を進めていってたどり着くほうがよっぽど楽。スマート。


「そんな簡単に言ってくれるな! それが出来ないから頑張るんだ!」
「そう出来ない人でも頑張れって言われたら出来る」


なんて言うのかもしれないけど。それこそ精神論。違うと思うんだ。


励ますのに大切なのは「アドバイス」すること。

「頑張れ!」と声をかけているのはどんな場面はこんなとき(極論気味)

その人が何かミッションを抱えていて、自分は間接的には拘っているけど主担当ではない。その人はいろんな問題に日々格闘している。よし励まそう!

とか。


「頑張れ」は要らないと思う。
励ます為に、一番大切なのは「アドバイス」をしてあげることだと思ってる。何かに取り組んでいる人は、どうしてもその世界に没頭している為に些細なきっかけを見落としがちで大きく遠回りしている。抱えている問題がわからないなら一緒に考えてあげればいい。で自分なりにアドバイスをすることが励みになる。この時、注意するのは「指示をしてしまわないこと」「答えを言ってしまわないこと」

どちらも、劇的に進行することにはなるだろうけど、本人が取ってきた過程と思考を閉ざしてしまう恐れあり。「ここに着眼点おいてみるとかどう?」とか「こんな考え方もあるけどどう?」とか。ヒントを与える。


あと、アドバイスしたからには「ちゃんと進捗を見守る」こと。これで「頑張れ」は要らない。

悩み事を抱えていて相談にきた。いろいろ話を聞いてあげた。話してスッキリしたみたい。最後に元気付けてあげよう。

とかもある。


「頑張れ」はNG。「頑張れなんて軽はずみに言えないから・・」はホントNG。ちゃんと話を聞いて、自分が思ったことをきちんと伝える。もし「何をアドバイスしたらいいかわかない」なら「何も言わない」


頑張ってるが「無理してる」になってる。

っていう人を見たことがあるから、今の自分は「頑張らない」のかなあと思う。「頑張れ」を素直に聞き入れてしまう人は時に上昇志向に目覚めてあくせく動き出す。高いパフォーマンスが発揮できる状態を維持できればいいのだが、そんなことを出来る人間は数少ない。精神論で効率が変わってしまう人は尚更。自分のキャパシティを超えちゃっても気づかない。気づいたときにはオーバーヒートしてる。


もしそれでも「頑張れ」って言ってしまったなら、これもやっぱり見守って誘導する。ほったらかしは絶対ダメ。

それでも敢えて「頑張れ」と声をかけるとき。

その人のことをよく知っていて、あ、この場面ではこの人に「頑張れ」が効く! と確信持てるときだけは「頑張れ」と言う時がある。でもよく知ってるからこそ、その「場面」がわかるからであってそんな滅多にない。でもそういう時には、他のどんな言葉よりも力があるんだよなあ。「勝負を決めた一手」ぐらいに輝くんだ。



まあ、そういう意味でも普段から「頑張れ頑張れ」なんて口癖のように言わないでおいたほうがいいなあ。と思ってる。でも確かに代わりになる言葉はなかなか見つからないことが多い。だからいっぱい考えて伝えるようにしてる。