俺にはある。
そんなことを考えていた。冬の訪れを感じざるをえない、寒さが身に染みる雨の夜だったからだろうか。そうでは無いのを分かっている。こういうことを考えてしまうのは大抵仕事が上手く行かずに家に帰って酒を飲んで自分の出来なさ加減を呪っている時だったりする。まあ、世間一般的に見てよくある壁にぶつかって跳ね返されているだけの事なんだが、どうにもやる瀬ない。そういうときにはついつい過去の思い出に浸ってしまうわけだ。その全てが必ずしも心地いいもでないとしてもだ。
誰にでも「これが自分の生きる場所だ」と盲目的に確信して、ただひたすらに時間と労力を注いだ事があるだろう。
当時の俺も全くの疑いもなく真実を求めてひた走っていた。もとい下らない思いつきを全力で目の前に現出させるために日夜走り続けていた。好きなことをやっていたので楽しくないはずはなかった。夜勤でバイトをし、昼まで寝て起きては宣伝(といっても狭い世界で)や打ち合わせなどして大人たちの妄想を舞台に上げるべく言葉のとおりに心血を注いだ。楽しかった。めちゃくちゃ楽しかった。驚く顔が嬉しかった。喜ぶ顔が嬉しかった。自分たちのやってることに自信はあったし、それは返ってくる反応からも手応えを感じていて、その輪の中に自分がいれるということを幸せに感じていた。そんな時に近くにいた。自分が勝手に近い、と感じていただけかもしれないが。
高校2年で中退したあと、2年ぐらいは親のすねを齧って生きていた。もしかしたらもっと長いかもしれないし、もっと短いかもしれないし、はっきりと覚えていない。図書館で本を借りるかレンタルビデオ屋で映画を借りて、という生活をしていた、ような気がする。何がきっかけかわからないけどバイトをし始めたのが20前後だったような。それから、またきっかけはわからないけど芝居を見始めて、それからそっちの世界にどっぷりはまっていった。そのうちスタッフをやるようになって、と言う人生。
無我夢中だった。もともと器用な人間でもなく人使いが得意なわけでもないので、大苦戦。そのころに自分が仕事できないから人に頼る(いい意味で)を学んだ気がする。とにかく楽しませてなんぼ、と考えていたので仕掛けの映像が出ない、っていうので頭真っ白になった時もあった。そんな時も代わりの機材を買いに走ってくれた。その時初めて俺は職場で泣いた。人生で唯一仕事で泣いた。その人への感謝もあったし、楽しみにしてくれた人たちに報いる事が出来るということで安心してしまって線が切れてしまったんだと思う。
最初は手伝いで来てもらっていたんだけどそのうち、無くてはならない存在になった。一緒にまるまる1本やってもらったのは次のが最初だったと思う。もう何年も前になってしまったんだけど、その時も時間に追われてギリギリまで裏を走りまわっていたような気がする。幕を開けるまでが長く終わるのもまた長かった。自分としても強く思いが入っていたので心身ともに疲れきっていた。近くにいるその存在が俺の力になっていた。終了後の打ち上げが終り、すっかり明るくなった新宿の路上で俺は右手を差し出した。彼女はそれに応えてくれた。その時の手の温もりを今でも憶えている。忘れられない握手の温もり。その時の手の温もりが今の俺を生かしている。存在が愛しいっていうのはそうそう思えることじゃない。なんて。
5年、いや6年たっただろうか。その後1年ほどして、俺はそこを離れた。楽しかったはずのことが楽しくなくなっていた。好きなモノを仕事にしてしまうと、時にとても辛いことがある。好きな故に続けられない。そういうこともある。大きな迷惑をかけてしまって、逃げだした、というのが正しいのだけど。
今年の初めに数年ぶりに顔を見て話しをした。変わっていたけど変わっていなかった。嬉しかった。
もしこれを読またりしたら、それは凄く恥ずかしい。けど、書いておきたいそんな夜。酔いに任せて。
普段そうそう握手を求めるって行為をしないんだけど、手の温もりは言葉以上に大切な事を伝えられる気がする。
もっと握手していきたいね。